校長は秋から春先にかけて「イノシシ」を〝採り〟ます。自然と人間の狭間でその調和を図る為です。先日もオッパイが張った大きなメスのイノシシを採りました。(きっと5頭程のウリ坊を連れてたんだと思います)
イノシシを〝採る〟という事は彼らの「命」を〝取る〟という事です。彼らは生きる為に田畑に入る。ただ生きる為に食べ、子孫を残す為に生きている。そんな彼らの命を取る際に、未だ正直〝かわいそう〟とか〝ごめんよなー〟とかって思いが頭をよぎるのが常でもあります。中々慣れる事はありません。でも、その〝瞬間〟は意外と何も考えない。感じない。自分でも驚く程〝淡々〟としています。(ナイフ片手に、そのナイフを喉にあてる際も、一頭のイノシシをスーパーで手に取る様なお肉に変えてく最中も、只々淡々と作業をしてる自分があります。)
〝取られ取り返す〟〝与え与えられる〟って事が自然界の大原則ではありますが、イノシシ猟に関してはまだまだ〝採って捨てる〟事が多いのも事実です。(市内にも精肉加工の施設があったらなー)だったら、命を頂いた以上、自分で自分の命に還元しちゃおうと思ったのがこのハンバーガー作りのきっかけでもあります。一般的に「イノシシの肉は臭い」「焼いたら固い」「よく火を通さないと」などと言われます。でも、ハンバーガーのパテにしたら香辛料と玉ねぎで薄く焼くのでよく火が通るし、全く臭くない。肉汁もパテに閉じ込められて旨みが残ってる。まして、山を元気に走り回ってるイノシシのパワーを貰えるような気さえする。
イノシシの命を自分で取って捌いて、調理までして胃袋に収まって頂く一連の作業を通して分かった事の一つは、「捨てるところがほとんど無い」「無駄なところがほとんど無い」って事もそう。大量生産、大量消費、大量破棄…何でも大量的なシステムの恩恵を受けてる自分。そんな自分がナイフ一本で命を取り、肉とし、調理する作業を通して、なんか本来の人間らしさを思い出せる様な、なんかこーゆー生き方もあるんだなーって思える何とも原始的な…でもちょっと未来的な、やっぱり〝楽しい〟授業でした
●秋はお月見の季節でもありますね。卵を挟んで「月見イノシシバーガー」も試作してみました。イノシシさん、ありがとう